「賢い子に育ってほしい」
子どもを持つ親なら、一度はそう思ったことがあるのではないでしょうか。
では、そもそも「賢い子」とは、どんな子なのでしょう。
テストでいつも100点を取る子。
計算が速い子。
難しい漢字をたくさん知っている子。
小学生のうちから中学校、高校の勉強を先取りしている子。
もちろん、それらも一つの能力だと思います。
でも、私はそれだけが「賢さ」ではないと思っています。
私は地方の公立小学校、公立中学校、公立高校で育ち、一浪して東京大学に入りました。
小学生の頃は塾にも通わず、先取り学習をしていた記憶もありません。
学研の教材を取っていましたが、勉強部分はほとんどやらず、楽しみにしていたのは付録の工作でした。
友達と遊び、ソフトボールをし、『北斗の拳』の絵を何度も模写し、自分で漫画を描いていました。
そんな私が親になり、二人の小学生の息子を見ていて、最近よく考えることがあります。
子どもの本当の「賢さ」は、テストの点数だけでは分からないのではないか。
分からないことに出会ったときに、自分で考えてみる。
面白そうなものを見つけたら、自分からやってみる。
うまくいかなければ、やり方を変えてもう一度試してみる。
そして、本当に必要になったときには、自分から学ぶ。
私は、そんな力を持っている子こそ「賢い子」なのではないかと思っています。
だから、このブログの名前を、
「賢い子の育ち方研究所」
としました。
「賢い子の育て方」ではありません。
「賢い子の育ち方」です。
親が子どもを思い通りに「賢くする」のではなく、
子どもには、もともと自ら育っていく力がある。
親にできるのは、その力が動き出したときに邪魔をせず、必要な環境を用意することなのではないか。
30本目となるこの記事では、これまでこのブログで書いてきたことを振り返りながら、私が考える「賢い子とは何か」を改めて整理してみたいと思います。
テストで100点を取ることと、「賢い」ことは同じなのか
小学生の勉強では、結果がとても分かりやすく表れます。
テストで100点を取った。
漢字を全部覚えた。
計算がクラスで一番速かった。
通知表が良かった。
親としては、やはりうれしいものです。
私も息子たちが良い点数を取ってくれば、
「よくできたね」
と思います。
ただ、ここで少し考えてみたいことがあります。
小学生のテストで100点を取ることと、その子が「賢い」ことは、本当に同じなのでしょうか。
私は違うと思っています。
もちろん、学校で習ったことを理解して、テストで正しく答えられることは大切です。
特に算数の四則演算や漢字など、小学生のうちに身につけておきたい基礎はあります。
だから、「テストの点数なんてどうでもいい」と言いたいわけではありません。
でも、点数はその時点で身につけた知識や技能を見る、一つの物差しにすぎません。
私自身、高校時代には勉強する意味が分からなくなり、やる気を失った時期がありました。
現役では東大に合格できず、一浪しています。
もし「賢さ」が、その時点の成績だけで決まるものなら、人の能力はそこで固定されてしまうことになります。
でも実際には、人は変わります。
興味を持つこともある。
失敗することもある。
そこから考え直すこともある。
必要になって、突然勉強を始めることもある。
だから私は、子どもの今の点数だけを見て、
「この子は賢い」
あるいは、
「この子は勉強ができない」
と決めてしまいたくありません。
むしろ大切なのは、
分からないことに出会ったとき、その子がどうするか。
私は、そこに「賢さ」の一つが表れるのではないかと思っています。
私が考える賢さ① 分からないことを、自分で考えてみる
私が「賢いな」と思うのは、何でもすぐに答えられる子ではありません。
むしろ、
分からないことに出会ったときに、すぐ答えを求めず、自分なりに考えてみる子
です。
勉強でも同じだと思います。
難しい問題を見た瞬間に、
「分からない」
と諦めるのではなく、
「これはどういう意味だろう」
「さっき習ったことを使えないかな」
「別のやり方ならできないかな」
と考えてみる。
正解できるかどうかより、まず自分の頭を使ってみることに意味があります。
私自身、高校時代にZ会の国語に取り組んでいたとき、かなり長い時間、問題を考えていました。
文章を読み直し、
「この問題は何を聞いているのだろう」
と考え、自分なりの答案を書く。
すぐに正解が分からないからこそ、考える時間がありました。
今振り返ると、私はこの時間が好きだったのだと思います。
もちろん、分からないことをいつまでも一人で考え続ければいいわけではありません。
考えても分からなければ、先生に聞けばいい。
本で調べてもいい。
誰かに教えてもらってもいい。
大切なのは、「知らないこと=恥ずかしいこと」ではないということです。
分からない。
だから考える。
それでも分からなければ調べる、聞く。
そして、分かったらまた次へ進む。
私は、たくさんの答えを知っていること以上に、
「分からないときに、どうすればいいかを知っていること」
が、これから長く学んでいくための大切な賢さなのではないかと思っています。
私が考える賢さ② 興味を持ったことを、自分からやってみる
もう一つ、私が大切だと思っているのが、
「面白そう」と思ったことを、自分からやってみる力
です。
これは、必ずしも勉強である必要はありません。
私自身、小学4年生くらいの頃、『北斗の拳』が大好きで、漫画の絵を何度も模写していました。
誰かに、
「絵の練習をしなさい」
と言われたわけではありません。
ただ、格好いい絵を自分でも描いてみたかった。
そのうち、模写するだけではなく、自分で漫画まで描くようになりました。
もちろん、それが直接、大学受験に役立ったとは思いません。
でも、
「面白いから、もっとやってみたい」
という気持ちで何かに夢中になる経験は、その後の人生でも大切だったように思います。
息子を見ていても、同じことを感じます。
長男は小学5年生になって、突然、
「バスケやろうかな」
と言い出しました。
私は中学生の頃にバスケットボールをやっていたので、以前から息子にもやってほしいと思っていました。
小学1年生の頃には、別のチームの体験にも連れて行きました。
でも、そのときは興味を示しませんでした。
だから、その後は無理にやらせませんでした。
そして数年後。
友達と放課後にバスケットボールをするようになり、自分から「やりたい」と言い出したのです。
同じバスケットボールでも、
親に勧められてやるのと、自分から「やりたい」と始めるのでは、まったく違います。
勉強も同じではないでしょうか。
親が先回りして、
「これを覚えなさい」
「次はこれを勉強しなさい」
とすべて用意することもできます。
でも、ときには子ども自身が、
「これ何だろう」
「やってみたい」
「もっと知りたい」
と思うまで待つ。
そして、その気持ちが出てきたときに、必要な環境を用意する。
私は、
自分の興味から、自分で最初の一歩を踏み出せること
も、テストでは測れない大切な「賢さ」だと思っています。
私が考える賢さ③ 失敗したら、やり方を変えてみる
私は、失敗しない子が賢いとは思っていません。
勉強でもスポーツでも、最初から何でもうまくできる人はいません。
問題を間違える。
試合で負ける。
思ったような結果が出ない。
自分で選んだことが、うまくいかない。
大切なのは、そのときにどうするかだと思います。
「自分には才能がない」
と終わらせるのではなく、
「なぜ、うまくいかなかったのだろう」
と考えてみる。
そして、
「次はこうしてみよう」
とやり方を少し変えて、もう一度やってみる。
私は、この繰り返しができることも「賢さ」の一つだと思っています。
私自身、現役では東大に合格できませんでした。
高校時代には勉強する意味が分からなくなり、やる気を失った時期もありました。
東大を受験して、不合格。
そこで私の人生が決まったわけではありません。
浪人して予備校に通い、もう一度勉強しました。
そして翌年、東大に合格しました。
もちろん、
「失敗すれば必ず成功する」
という話ではありません。
何度やってもうまくいかないこともあります。
途中で、
「これは自分には合わない」
と判断して、別の道へ進むことだってあるでしょう。
それも一つの修正だと思います。
私は子どもたちにも、失敗そのものを必要以上に恐れてほしくありません。
失敗したら、
考える。
やり方を変える。
もう一度やってみる。
それでも違うと思ったら、別の方法を探す。
正解を最初から知っていることより、自分で修正しながら前へ進めること。
それは学校を卒業した後にも必要になる、大切な「賢さ」なのではないでしょうか。
私が考える賢さ④ 必要になったとき、自分から学べる
私が子どもたちに最終的に身につけてほしいと思っているのは、
「必要になったときに、自分から学べる力」
です。
小学生のうちに、できるだけ多くのことを覚える。
できるだけ先の学年まで勉強しておく。
それも一つの考え方でしょう。
でも、どれだけ先取りをしても、人生で必要になることをすべて子どものうちに学んでおくことはできません。
中学生になれば、中学生で初めて出会うことがあります。
高校、大学、そして社会に出てからも同じです。
私自身、大学を卒業して商社に入り、仕事をするようになってからも、知らないことばかりでした。
仕事で必要になれば、自分で調べる。
詳しい人に聞く。
資料を読む。
考えて、やってみる。
そして、うまくいかなければ修正する。
学校のテストのように、
「ここからここまで覚えれば100点」
とはいきません。
だから私は、小学生の子どもたちを見ていて、
「今、何年生の問題まで解けるか」
だけをそれほど重要だとは思っていません。
それよりも、
「知りたい」
「できるようになりたい」
「これは自分に必要だ」
と思ったときに、自分から動けること。
そして、分からなければ考え、調べ、誰かに聞きながら学んでいけること。
そういう力があれば、必要な知識はその都度身につけていくことができます。
親がずっと横にいて、
「次はこれを勉強しなさい」
と指示し続けることはできません。
いつか子どもは、自分で自分の人生を進んでいきます。
だから私は、
たくさん勉強させること以上に、「必要になったら自分で学べる子」でいてほしい。
それが、私が考える「賢い子」の一つの姿です。
「賢い子に育てる」ではなく、「賢く育っていくのを邪魔しない」
このブログの名前は、
「賢い子の育ち方研究所」
です。
「賢い子の育て方研究所」ではありません。
この違いには、私なりの意味があります。
子育てをしていると、
「どうすれば勉強する子になるのか」
「どうすれば運動のできる子になるのか」
「どんな習い事をさせればいいのか」
と、つい親が「何をするか」を考えてしまいます。
私も同じです。
子どものために何かしてあげたい。
できるだけ良い環境を用意してあげたい。
そう思います。
でも、二人の息子を育てているうちに、
親が何かを「させた」ときより、子どもが自分から動き始めたときのほうが、大きく変わることがある
と感じるようになりました。
長男のバスケットボールもそうでした。
小学1年生のときに私が体験へ連れて行っても、興味を示しませんでした。
ところが小学5年生になり、友達と遊ぶ中で興味を持つと、自分から「やろうかな」と言い出しました。
勉強でも同じだと思います。
親が先回りして教材を与え続けなくても、
「もっと知りたい」
「これをやってみたい」
と思う瞬間が来るかもしれません。
もちろん、ただ放っておけばいいという意味ではありません。
学校の勉強でつまずいていないかを見る。
困っていれば助ける。
興味を持ったことがあれば、できる範囲で環境を用意する。
危険なことや、人を傷つけることなら止める。
親にしかできないことも、たくさんあります。
でも、
子どもの人生のハンドルまで、親が握り続ける必要はない。
子どもには、自分で興味を持ち、自分で考え、失敗し、やり方を変えながら育っていく力があります。
だから私が親としてやりたいのは、
「賢い子をつくる」ことではありません。
子どもが自分で育とうとしているときに、その力をできるだけ邪魔しないこと。
そして、必要なときには手を差し出すこと。
それが、このブログでいう「育ち方」です。
子どもには、自ら育つ力がある。
30本の記事を書いてきて、結局、私が伝えたいことは、この一言に集約されるのかもしれません。
まとめ|私が考える「賢い子」とは
「賢い子」と聞くと、テストでいつも100点を取る子や、難しい問題をすらすら解く子を思い浮かべるかもしれません。
もちろん、それも素晴らしいことです。
でも、私が子どもたちに身につけてほしい「賢さ」は、それだけではありません。
この記事で書いてきたのは、次のような力です。
分からないことに出会ったら、自分で考えてみる。
興味を持ったら、自分からやってみる。
失敗したら、考えてやり方を変えてみる。
必要になったら、自分から学ぶ。
こうした力は、学校のテストではなかなか点数になりません。
そして、親が「身につけなさい」と言って、簡単に身につくものでもないと思います。
だから私は、小学生のうちからできるだけ先へ進ませることよりも、
遊ぶ。
夢中になる。
失敗する。
自分で考える。
そして、ときには何もしない。
そんな時間も大切にしたいと思っています。
子どもが困っていれば助ける。
「もっとやりたい」と言えば、できる範囲で環境を用意する。
子どもの「やりたい」を待つことについては、こちらにも実体験を書いています。
→ 子どもの「やりたい」を待つ子育て|スキー・皇居ラン・バスケで気づいたこと
でも、親が先回りして子どもの進む道をすべて決めてしまわない。
親が子どもを「賢く育てる」のではなく、子ども自身が賢く育っていくのを見守る。
私自身、二人の息子を育てている途中です。
これが正解なのかは、まだ分かりません。
だからこそ、このブログを「研究所」と名付けました。
自分自身の経験を振り返り、子どもたちの成長を見ながら、これからも、
「賢い子とは何だろう」
「親にできることは何だろう」
と考えていきたいと思っています。
子どもには、自ら育つ力がある。
その力を信じながら、必要なときに手を差し出す。
それが今のところ、私が考える「賢い子の育ち方」です。
子どもが夢中になって遊ぶ時間については、こちらの記事で詳しく書いています。
→ 東大卒の私が「小学生は遊んだほうがいい」と考える理由|勉強より夢中になる時間


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