「東大に入った人は、小学生の頃から勉強ばかりしていたのでは?」
そう思われることがあります。
でも、私の場合はまったく違いました。
私は中国地方の田舎で育ち、地元の公立小学校、公立中学校、公立高校へ進みました。小学生の頃に塾へ通ったことはありません。中学受験もしなければ、先取り学習をしていた記憶もありません。
では、小学生の私は毎日何をしていたのか。
振り返ってみると、漫画を描いたり、外で遊んだり、ソフトボールをしたり。勉強とは直接関係なさそうなことに、かなりの時間を使っていました。
特に夢中になったのが、漫画です。
小学校4年生頃には『北斗の拳』の絵を何度も模写し、自分で漫画まで描いていました。
一方で、家には百科事典があり、学研の教材も定期購読していました。
親から「東大に行け」と言われたことも、「勉強しなさい」と厳しく管理された記憶もありません。
それでも私は、一浪した後、東京大学に進学しました。
今、二人の息子を育てながら自分の小学生時代を振り返ると、「何を勉強していたか」以上に大切だったことがあったのではないかと思うようになりました。
この記事では、東大に入るための特別な英才教育とは無縁だった私が、小学生の頃に実際に何をして過ごしていたのかを書いてみます。
小学生の頃、勉強より夢中になっていたのは漫画だった
小学生の頃の私が、一番夢中になっていたものの一つが漫画でした。
特に好きだったのが『北斗の拳』です。
小学校4年生頃には、登場人物の絵を何度も模写していました。
ただ読むだけではありません。
そのうち、自分でも漫画を描くようになりました。紙と鉛筆があれば、一人でかなり長い時間遊んでいた記憶があります。
もちろん、
「絵を描けば頭が良くなる」
「漫画を描けば東大に入れる」
などと考えていたわけではありません。
親から「絵を描きなさい」と言われたわけでもありません。
単純に面白かったから、勝手にやっていただけです。
今振り返ると、ここはとても大事だったように思います。
誰かに決められた課題ではなく、
自分で興味を持つ → やってみる → もっとやりたくなる
という経験を、小学生の頃から何度もしていました。
これは勉強そのものではありません。
しかし、後に自分で勉強するようになったときにも、この「興味を持ったことを自分で追いかける」という感覚は、どこかでつながっていたのではないかと思っています。
家に学研はあった。でも勉強部分はほとんどやらなかった
我が家では、学研の教材を定期購読していました。
こう書くと、
「やっぱり東大に入るような子は、小学生の頃から家庭学習をしていたんだ」
と思われるかもしれません。
でも、実際は違います。
私は学研の勉強部分をほとんどやっていませんでした。
私が楽しみにしていたのは、むしろ付録の工作です。
教材が届くと、勉強のページよりも付録に興味を持ち、工作をして遊んでいました。
今考えると、親としては、
「せっかく買っているんだから、勉強のほうもやりなさい」
と言いたくなったかもしれません。
でも、私の親はそれを無理にやらせませんでした。
そして私は、勉強の教材そのものより、作ったり、試したり、自分の手を動かしたりすることに夢中になっていました。
家には百科事典もありました。
ただ、それも「毎日ここを読みなさい」と与えられたものではありません。
勉強を管理されたというより、興味を持ったときに触れられるものが家の中にあった。
私の小学生時代は、そんな環境だったと思います。
学研を買い与えること自体が大切だったのではないでしょう。
勉強部分をやらずに工作ばかりしていた私を見て、それでも親が無理に勉強へ戻そうとしなかった。
今、二人の子どもを育てる立場になって振り返ると、こちらのほうが私にとっては大きかったのかもしれないと思っています。
私の勉強を細かく管理しなかった母から、親になった今だからこそ学んでいることがあります。
→ 東大卒の私が、高卒の母から学んだ子育て|子どもを伸ばす「親の言葉
勉強以外の時間は、外で遊んでいた
小学生の頃の私は、家の中で漫画を描いたり工作をしたりする一方で、外でもよく遊んでいました。
今のように、放課後に塾や習い事の予定がたくさん入っている生活ではありません。
友達と遊んだり、体を動かしたりして過ごす時間がたくさんありました。
小学生の頃には、ソフトボールもやっていました。
ただ、これも将来のために親が、
「運動もやっておいたほうがいい」
と考えて始めさせたものではありません。
勉強も、漫画も、工作も、外遊びも、ソフトボールも。
私の小学生時代を振り返ると、何か一つに絞って「将来のためにこれをやる」という生活ではありませんでした。
もちろん当時の私は、
「いろいろな経験をすれば、将来東大受験に役立つ」
などと考えていたはずもありません。
そのとき面白いと思ったことをやっていただけです。
今振り返ると、小学生の時期にこうした自由な時間がたくさんあったことは、私にとってかなり大きかったのではないかと思っています。
小学生の頃、受験を意識した勉強はしていなかった
小学生の頃の私は、東大はもちろん、大学受験のことなどまったく考えていませんでした。
中学受験もしませんでしたし、塾にも通っていません。
先ほど書いたように、学研の教材は家にありましたが、勉強部分にはほとんど手をつけず、楽しみにしていたのは付録の工作でした。
つまり、
「将来、難関大学に入るために、小学生のうちから勉強しておこう」
という発想そのものがありませんでした。
親から先取り学習をさせられた記憶もありません。
それでも、学校の授業を受け、宿題をしながら普通に小学校生活を送っていました。
そして中学、高校と地元の公立校に進み、一浪した後に東京大学へ進学しました。
もちろん、だからといって、
「小学生は勉強しなくていい」
と言いたいわけではありません。
私が自分の経験から疑問に思うのは、
難関大学を目指すなら、小学生の頃から受験を意識した勉強を始めなければならないのか?
ということです。
少なくとも私の場合は、そうではありませんでした。
小学生の頃にたくさん時間を使ったのは、受験勉強ではなく、漫画を描くこと、工作をすること、外で遊ぶことなどでした。
それでも、後になって勉強が必要になったときには、勉強するようになりました。
今考えると、小学生の時期にしかできないことに夢中になる時間が十分にあったことは、決して無駄ではなかったと思っています。
小学生のうちから受験勉強を始める必要があるのかについては、こちらの記事でも詳しく書いています。
→ 地方公立高校から東大へ|塾なし・一浪で合格した私が考える10の誤解
自分が親になっても、子どもの勉強を管理していない
今、私は二人の息子を育てています。
自分が東大を卒業していると、
「子どもにも小学生の頃から勉強させているのでは?」
と思われるかもしれません。
でも、我が家ではそうしていません。
中学受験をさせる予定もありませんし、難関大学に入るための先取り学習をさせているわけでもありません。
基本的には学校の宿題をやる程度です。
もちろん、親として「もう少し勉強したほうがいいのでは」と思うことはあります。
それでも、私自身の小学生時代を振り返ると、親に勉強を管理されなかったことは、決してマイナスではなかったと思っています。
漫画を描く。
工作をする。
外で遊ぶ。
スポーツをする。
一見すると受験には何の関係もないようなことに、子どもが夢中になっている。
そんな時間を、親が「勉強しなさい」と奪わないことも大切なのではないでしょうか。
私自身、小学生の頃に東大を目指していたわけではありません。
それでも、後になって自分で勉強する必要を感じたときには、勉強するようになりました。
だから私は、自分の息子たちについても、
「今から東大に入れる子をつくろう」
とは考えていません。
それよりも、
子どもが今、何に興味を持っているのか。何なら自分から夢中になれるのか。
そちらを大切にしたいと思っています。
親が子どもの勉強をどこまで管理すべきかについては、こちらの記事でも詳しく書いています。
→ 子どもが家で勉強しない!東大卒の父が「親の勉強管理」より大切だと思うこと
まとめ|小学生の頃に大切だったのは「何を勉強したか」ではなかった
私は地方の公立小学校、公立中学校、公立高校を経て、一浪して東京大学に入りました。
しかし、小学生の頃から東大を目指して勉強していたわけではありません。
塾にも通っていませんでした。
学研の教材が家にあっても、勉強部分はほとんどやらず、夢中になっていたのは付録の工作でした。
『北斗の拳』を模写したり、自分で漫画を描いたり、外で遊んだり、ソフトボールをしたり。
振り返ってみれば、そんなことに多くの時間を使っていました。
だから私は、
「東大に入るためには、小学生の頃から○○をやるべきだ」
という自分の経験にないことを、二人の息子にやらせようとは思いません。
むしろ大切にしたいのは、
子どもが「面白い」と思ったことに、思い切り夢中になれる時間です。
漫画でもいい。
工作でもいい。
スポーツでもいい。
外遊びでもいい。
それが将来、何の役に立つのかは、そのときには分からないかもしれません。
私自身、漫画を描きながら「これは将来の東大受験に役立つ」などと考えたことは一度もありませんでした。
それでも今振り返ると、誰かに言われたからではなく、自分で面白いものを見つけ、自分からやってみる経験をたくさんできたことには、大きな意味があったように思います。
子どもには、自ら育つ力がある。
親にできるのは、その力を先回りして引っ張ることではなく、興味を持てるものに出会える環境をつくり、夢中になったときには邪魔をしないことなのかもしれません。


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