「ゲームばかりしていて大丈夫なの?」
小学生の子どもがゲームをしている姿を見て、そう思ったことがある親は多いのではないでしょうか。
勉強する時間が減る。
外で遊ばなくなる。
ゲームばかりになったらどうしよう。
親として気になることはいろいろあります。
私にも小学生の息子が2人います。
ゲームもします。
Switchで遊び、友達とオンラインで遊ぶこともあります。
ところが私は、息子たちに「ゲームは禁止」とは言っていません。
実は私自身は、子どもの頃からゲームが得意ではありませんでした。
今でも息子たちの方が、新しいゲームやデジタル機器をずっと早く使いこなします。
それなのに、なぜゲームを禁止しないのか。
その理由の一つは、私自身が東大へ入って経験した、忘れられない失敗にあります。
私は東大1年生のとき、情報処理の授業で大きくつまずきました。
パソコンをほとんど使ったことがなかったからです。
その経験から30年以上たった今、子どもが新しいものに夢中になることを、大人の価値観だけで「無駄」と決めつけない方がいいのではないかと思うようになりました。
この記事では、ゲームがほとんどできない私が、なぜ息子たちのゲームを禁止していないのかを書いてみます。
第1章 東大で味わった「パソコンが使えない」という挫折
1994年、私が東大1年生だった頃の話です。
必修科目に情報処理の授業がありました。
当時の私は、パソコンにほとんど触れたことがありませんでした。
ある日の授業中、画面上のカーソルを次へ進める方法が分からなくなりました。
私は右矢印キーを何度も押しました。
しかし、何も起きません。
困った私は、隣に座っていた学生に聞きました。
すると彼は、スペースキーを押しました。
カーソルは簡単に次へ進みました。
そのときの、
「こんなことも知らないのか」
と言いたげな彼の表情を、30年以上たった今でも覚えています。
私にとっては、それくらい衝撃的な出来事でした。
東大に合格したことで、私は勉強にはそれなりの自信を持っていました。
ところがパソコンの前では、周囲の学生が当たり前にできることが、私にはまったく分からなかったのです。
結局、私はその情報処理の単位を落としました。
クラスで単位を落としたのは、私一人でした。
翌年、一つ下の学年に混じって、同じ授業をもう一度受けることになりました。
第2章 東大には、私とはまったく違う「パソコン少年」がいた
私が大学へ入った1990年代前半は、今とはまったく違います。
家庭にパソコンがあることが当たり前の時代ではありませんでした。
私自身も、大学へ入るまでパソコンをほとんど使った経験がありませんでした。
ところが東大へ入ると、私とはまったく違う学生たちがいました。
高校時代からパソコンに触れていた人。
自分でプログラムを書いていた人。
コンピューターを自由自在に操作する人。
私には、彼らが別世界の人に見えました。
彼らにとってパソコンは、「勉強しなければならないもの」というより、面白くて触っているうちに使えるようになったものだったのかもしれません。
一方の私は、分からない操作があるたびに立ち止まります。
「間違えたらどうしよう」
「変なところを押したら壊れないだろうか」
そんなことを考えていました。
単位を落としたことが悔しくて、その後はパソコンの使い方を覚え、キーボード入力も練習しました。
社会人になる頃には、仕事で使えるようになりました。
それでも、この経験は私の中にずっと残りました。
子どもの頃に「面白い」と思って夢中になった経験は、大人が考えている以上に大きな力になることがある。
私自身が、大学へ入って初めてそれを思い知らされたからです。
第3章 私はファミコンにも熱中しなかった
1983年にファミコンが発売された頃、私は小学生でした。
友達の家へ行って遊ぶことはありました。
しかし、私はゲームがあまり得意ではありませんでした。
友達が簡単そうに操作しているゲームでも、私はなかなかうまくできません。
そのためか、ゲームそのものに夢中になることもありませんでした。
中学生になってからは、ゲームで遊ぶことはさらに減りました。
そして今でも、私はゲームがほとんどできません。
息子たちが新しいゲームを始めても、私が操作方法を教えることはありません。
むしろ、私の方が教えてもらう側です。
Switchの設定なども、私は得意ではありません。
ところが息子たちは、新しいゲームでもすぐに遊び始めます。
説明書を最初から最後まで読んでいるわけではありません。
とりあえず触ってみる。
分からなければ、いろいろ試してみる。
友達から教えてもらう。
そして、いつの間にか使えるようになっています。
私が大学生になってパソコンの前で立ち止まっていた姿とは、ずいぶん違います。
第4章 私がゲームに感じているのは「試行錯誤する力」
私は、ゲームをすれば頭が良くなる、と言いたいわけではありません。
ゲームをすれば将来パソコンが得意になる、とも思っていません。
ただ、息子たちがゲームをしている姿を見ていて、面白いと思うことがあります。
とにかく、失敗を怖がらないのです。
初めて見る画面でも、とりあえずボタンを押す。
うまくいかなければ、別の方法を試す。
失敗したら、もう一度やる。
それでもダメなら、やり方を変える。
ゲームでは、この繰り返しが短い時間に何度も起こります。
私は今でも、新しいパソコンやソフトを使うとき、
「まず使い方を調べよう」
「このボタンを押して大丈夫かな」
と考えるタイプです。
息子たちは違います。
まず触る。失敗する。また試す。
このスピードは、私より圧倒的に速いと感じます。
もちろん、それがすべてゲームのおかげなのかは分かりません。
それでも私は、この「まずやってみる」という姿勢には価値があると思っています。
大人から見れば、ただ遊んでいるだけに見えるかもしれません。
しかし子どもは、遊びながら自分なりに考え、試し、失敗し、やり方を変えている。
ゲームにも、そういう側面があるのではないか。
自分自身がデジタル機器に苦労した経験があるからこそ、私はそう考えるようになりました。
第5章 何時間でもゲームをしていい、とは思わない
もちろん私は、
「ゲームなら何時間でも好きなだけやっていい」
と考えているわけではありません。
ゲームに夢中になって寝る時間が遅くなる。
外へまったく遊びに行かなくなる。
食事中までゲームをする。
やるべきことが何もできなくなる。
そうなれば、親として声をかける必要はあると思います。
小学生なら、自分だけですべての時間を管理するのは難しいでしょう。
だから、生活のリズムについて親がある程度関わることは必要だと思っています。
ただ私は、
「ゲームをすること自体が悪い」
とは考えていません。
ゲームを取り上げれば、ゲームをしている時間はなくなります。
しかし、それだけで子どもが本を読むようになるとも、勉強するようになるとも限りません。
大切なのは、ゲームを敵にすることではなく、
睡眠、学校、外遊び、スポーツ、勉強、そしてゲームを含めて、生活全体を見ること
ではないでしょうか。
我が家でも、ゲームだけで一日が終わる生活を望んでいるわけではありません。
でも、友達と遊び、スポーツをし、学校生活を送り、その中にゲームを楽しむ時間がある。
それなら私は、ゲームを無理に禁止する必要はないと思っています。
第6章 大人に「無駄」に見えるものが、将来どうつながるかは分からない
私が大学生だった頃、パソコンやインターネットは急速に身近なものになっていきました。
そして社会人になると、パソコンやメールを使うことは当たり前になりました。
私が子どもの頃には想像できなかった変化です。
今の子どもたちが大人になる頃、社会がどう変わっているのか、私には分かりません。
今ある仕事がなくなるかもしれません。
今は存在しない仕事が生まれるかもしれません。
子どもが夢中になっている遊びが、思いがけない経験につながることもあるでしょう。
だから私は、大人である自分が理解できないという理由だけで、
「そんなものは無駄だからやめなさい」
と簡単には言いたくありません。
私自身、大学へ入って、子どもの頃からコンピューターに触れてきた学生との差を目の当たりにしました。
もちろん、子どもの頃にゲームをすれば将来成功する、という単純な話ではありません。
ただ、
何に興味を持ち、何に夢中になるかは、本人にしか分からない。
そして、その経験が将来どこにつながるのかは、親にも分かりません。
だからこそ、危険なことや生活に大きな支障がある場合を除いて、子どもの「やってみたい」を大人の価値観だけで狭めすぎないようにしたいと思っています。
第7章 「禁止する」より、自分で考えられるようになってほしい
私が子育てをする中で大切にしていることがあります。
それは、親がすべてをコントロールするのではなく、子ども自身が考えて行動できるようになってほしいということです。
ゲームをするのか。
外で遊ぶのか。
スポーツをするのか。
本を読むのか。
勉強するのか。
親がすべて決めれば、小学生のうちはその通りに動かせるかもしれません。
でも、いつまでも親が横について指示することはできません。
私自身、中学3年生のときに東大を目指すことを自分で決めました。
親から、
「東大へ行きなさい」
と言われたわけではありません。
自分で決めた目標だったからこそ、思うように成績が伸びない時期があっても、最終的には挑戦を続けられたのだと思います。
息子たちにも、同じように自分で考えて選べる人になってほしい。
ゲームについても、
「親に禁止されたからやらない」
ではなく、
「今日は何をするのか」
「いつまでゲームをするのか」
「ほかにやることはないのか」
と、少しずつ自分で考えられるようになってほしいと思っています。
もちろん、小学生のうちから完璧にできるとは思っていません。
失敗しながら覚えていけばいい。
そのための時間も、子どもには必要なのではないでしょうか。
まとめ|ゲームを取り上げるより大切にしたいこと
私自身は、ゲームがほとんどできません。
だからこそ、ゲームに夢中になる子どもの気持ちを完全に理解できているとは思いません。
それでも私は、息子たちからゲームを取り上げようとは思いません。
東大へ入って初めてパソコンに苦労した経験から、子どもの頃に夢中になって触れたものが、将来どこにつながるかは分からないと感じているからです。
ゲームの中でも、子どもは試し、失敗し、また挑戦しています。
もちろん、睡眠や運動、学校生活などとのバランスは必要です。
でも、ゲームそのものを悪者にする必要はない。
私はそう考えています。
そしてゲーム以上に大切にしたいのは、
子ども自身が、自分の時間の使い方を少しずつ考えられるようになることです。
親がずっと管理するのではなく、少しずつ本人に任せていく。
失敗すれば、また考える。
必要なときには親が助ける。
そうやって、自分で考え、自分で選ぶ経験を積んでほしいと思っています。
ゲームをするかどうかも、勉強するかどうかも、最終的には本人の人生です。
親の役割は、子どもの人生をコントロールすることではなく、自分でコントロールできるようになるまで支えること。
私は、そんな距離感で息子たちを見ていきたいと思っています。
子どもの宿題やテストについても、我が家では同じように「親が管理する」より「まず本人に任せる」ことを大切にしています。


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