東大卒の私が、高卒の母から学んだ子育て|子どもを伸ばす「親の言葉」

子育て・教育論

「子どもを賢く育てるには、親も高学歴でなければならない」

そんなイメージを持っている人もいるかもしれません。

私は地方の公立高校から一浪して東京大学に入りました。

でも、私の母は高卒です。

特別な教育の知識があったわけでも、私を東大に入れるための教育計画を立てていたわけでもありません。

それでも今、二人の子どもを育てる立場になって振り返ると、母から教わったことの中に、子育てで最も大切なことの一つがあったように思います。

それは、勉強の教え方でも、受験の戦略でもありません。

子どものしたことを、まず喜んで受け取ること。

そう思うようになったきっかけが、私が母にプレゼントした一つの財布でした。

母がその財布を受け取ったときに言った言葉を、私は今でも覚えています。

この記事では、東大卒の私が、高卒の母から教わった「親の言葉」について書いてみたいと思います。

母に財布をプレゼントした日のこと

社会人になってから、私は母に財布をプレゼントしたことがあります。

決して大げさな出来事ではありません。

母に何か贈ろうと思って、私なりに選んだ財布でした。

母はそれを受け取ると、こう言いました。

「ありがとう。ずいぶん立派な財布だね。大切に使うよ」

何気ない一言です。

でも、なぜか私はこの言葉を今でも覚えています。

「高かったでしょう」

でもなく、

「こんなもの買わなくていいのに」

でもありませんでした。

まず「ありがとう」と喜んでくれた。

そして、「立派な財布だね」「大切に使うよ」と、私が選んだものをそのまま受け取ってくれた。

今、自分が親になってみると、これは意外と簡単なことではないと感じます。

子どもが何かをしてくれたとき、親はつい、

「でも、ここはこうしたほうがいい」

「そんなことにお金を使わなくていい」

「次はこうしなさい」

と、評価やアドバイスを付け加えたくなります。

でも母は、そうではありませんでした。

私がしたことを、まず喜んで受け取ってくれた。

私は、この母の反応の中に、子どもとの関わり方で大切なことがあるのではないかと思っています。

母は私の勉強を管理しなかった

母は、私の勉強を細かく管理する親ではありませんでした。

「今日は何時間勉強したの?」

「宿題は終わったの?」

「この問題集をここまでやりなさい」

そんなふうに、毎日の勉強を管理された記憶はほとんどありません。

中学受験もしませんでしたし、私は高校まで地元の公立学校に通いました。

塾にも通っていません。

それでも母は、私の成績を見て一喜一憂したり、将来の進路を先回りして決めたりすることはありませんでした。

だからといって、私に関心がなかったわけではありません。

母自身は本を読むことが好きで、図書館をよく利用していました。

家には百科事典もありました。

前の記事で書いたように、学研の教材もありましたが、私は勉強部分にはほとんど手をつけず、付録の工作ばかりしていました。

私が小学生の頃、実際に何をして過ごしていたのかについては、こちらの記事で詳しく書いています。

→ 東大卒の私が小学生時代にやっていたこと|塾なし・先取り学習なしの子ども時代

それでも、

「せっかく買ったんだから、勉強しなさい」

と無理にやらされた記憶はありません。

振り返ってみると、母がしていたのは、

子どもを思い通りに動かすことではなく、子どもが自分で動くのを見守ること

だったのかもしれません。

当時の母が、そんな「教育方針」を意識していたのかは分かりません。

でも結果として私は、自分で進路を考え、自分で東大を目指すようになりました。

高卒の母から、東大卒の私が学んだこと

私は東京大学を卒業しました。

母は高卒です。

学歴だけを見れば、私のほうが長く学校教育を受けています。

でも、親になった今、「子どもを育てる」ということについて考えると、母から学んだことはとても多かったと感じます。

母は、私に何かを教え込もうとする人ではありませんでした。

勉強を細かく管理することもなければ、将来の進路を決めることもありませんでした。

その代わり、私が何かをしたときには、それをまず受け止めてくれました。

財布を渡したときの、

「ありがとう。ずいぶん立派な財布だね。大切に使うよ」

という言葉も、その一つだったのだと思います。

子どもが何かをしたとき、大人から見れば不十分なことはいくらでもあります。

もっと上手にできる。

もっと効率のいい方法がある。

もっと勉強したほうがいい。

親には経験があるからこそ、先回りして教えたくなります。

でも、そこで毎回、

「もっとこうしたほうがいい」

と言われ続けたら、子どもはどう感じるでしょうか。

少なくとも母は、私にそういう接し方をしませんでした。

まず受け取る。まず喜ぶ。まず認める。

そして、必要以上に手を出さない。

東大に合格するための勉強法を母から教わった記憶はありません。

でも、自分で考え、自分で選び、自分で動くための土台のようなものは、こうした母との関係の中で育っていったのかもしれません。

親の学歴や家庭の経済状況と、子どもの進路については、私自身の家庭環境を振り返りながらこちらの記事でも詳しく書いています。

→ 東大合格に親の学歴や年収は関係する?地方の普通の家庭で育った私の場合

私も、息子たちを先回りして動かさないようにしている

今、私は二人の息子を育てています。

もちろん、母とまったく同じ子育てができているわけではありません。

子どもがゲームばかりしていれば、

「そろそろやめたら?」

と言いたくなることもあります。

勉強していなければ、

「宿題は大丈夫なのか?」

と気になることもあります。

親になってみると、子どもを信じて待つことは、思っていた以上に難しいものです。

それでも私は、できるだけ子どもの行動を先回りして決めないようにしています。

以前の記事で書いたように、長男が小学1年生の頃にバスケットボールの体験へ連れて行ったことがありました。

そのときは、まったく興味を示しませんでした。

私は中学生の頃にバスケットボールに夢中になっていたので、息子にもやってほしい気持ちはありました。

でも、無理に始めさせることはしませんでした。

それから数年後。

小学5年生になった長男は、自分から「バスケをやろうかな」と言い出しました。

そして今度は、自分の意思でチームに入りました。

子どもが自分から「やりたい」と動き出すまで待つことについては、こちらの記事でも詳しく書いています。

→ 子どもの「やりたい」を待つ子育て|スキー・皇居ラン・バスケで気づいたこと

この経験からも、私は改めて思います。

親が「これをやらせたい」と思うタイミングと、子ども自身が「やりたい」と思うタイミングは違う。

母も、私に対してそうだったのかもしれません。

親が先回りして正解へ連れていくのではなく、子どもが自分で選んだときに、それを受け止める。

私は母ほど上手にできている自信はありません。

それでも、母から受け取ったものを、自分なりに息子たちへつないでいきたいと思っています。

まとめ|子どもを伸ばす言葉は、意外とシンプルなのかもしれない

母に財布をプレゼントしたときの、

「ありがとう。ずいぶん立派な財布だね。大切に使うよ」

という言葉。

何十年も経った今でも、私は覚えています。

母は高卒で、教育の専門家でもありません。

私を東大に入れるために、特別な教育をしていたわけでもありません。

勉強を細かく管理された記憶もありません。

それでも、母は私がしたことをまず受け止め、喜んでくれました。

今、自分が親になって思うのは、子どもを伸ばすために必要なのは、必ずしも特別な教育法ではないのかもしれない、ということです。

子どもが何かをしたとき、

すぐに評価するのではなく、まず受け止める。

すぐに改善点を教えるのではなく、まず喜ぶ。

親が望む方向へ動かすのではなく、子どもが自分で動き出すのを待つ。

言葉にすると簡単ですが、親になると、これがなかなか難しい。

だからこそ私は、母のあの一言を思い出します。

私は東京大学を卒業しました。

でも、子育てについては、高卒の母から今でも学んでいます。

子どもを「育てよう」としすぎなくても、子どもには自ら育つ力がある。

親にできることは、その力を信じて、子どもが差し出してきたものを、まず笑顔で受け取ることなのかもしれません。

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