「東大に合格する人は、子どもの頃から頭のつくりが違う」
「普通の子が努力しても、東大には届かない」
私自身、小学生の頃はそんなイメージを持っていました。
田舎で育った私にとって、東京大学は自分とはまったく違う世界にいる「特別に頭のいい人たち」が行く大学に見えていたのです。
ところが、中学3年生で東大を目指すことを決め、一浪して実際に東大へ入ってみると、少し違う景色が見えてきました。
もちろん、東大には驚くほど能力の高い人がいます。
「自分には到底かなわない」
と思った人にも、何人も出会いました。
しかし一方で、私が東大で見たのは、分からないことがあれば基礎まで戻って勉強する人や、何度不合格になっても挑戦を続ける人たちの姿でした。
そして何より、私自身が「天才少年」ではありませんでした。
地方の公立小学校、公立中学校、公立高校で育ち、小学生の頃は塾にも通っていません。
それでも、一浪して東京大学に合格しました。
この記事では、実際に東大へ入って私が感じた、「才能」と「努力」についての現実を書いてみます。
第1章 子どもの頃、東大生は「別世界の天才」だと思っていた
小学生の頃、毎年大晦日は家族そろって紅白歌合戦を見るのが楽しみでした。
その日だけは夜更かしが許され、お菓子を食べながら年越しそばを食べる。
それが我が家の恒例行事でした。
紅白が終わると、テレビでは受験特集が流れることがありました。
画面に映るのは、都会の進学塾。
鉢巻きを締めた小学生たちが、
「絶対合格するぞ!」
と気合いを入れている。
田舎の公立小学校に通い、塾にも行っていなかった私には、それがまったく別世界の光景に見えました。
「都会の子どもはすごいな」
「東大へ行く人は、きっとああいう子なんだ」
そう思っていました。
私の中にはいつの間にか、
「東大へ行く人=子どもの頃から特別に頭のいい人」
というイメージができあがっていたのだと思います。
その後、中学3年生になって自分自身が東大を目指すことを決めても、私は自分に特別な才能があるとは思っていませんでした。
だから、私にできることは一つしかないと思っていました。
努力することです。
第2章 実際に東大へ入って驚いたこと
一浪して東京大学に合格し、大学生活が始まりました。
そこで最初に驚いたのは、東大生も私が高校までに付き合ってきた友人たちと、それほど変わらなかったことです。
くだらない話をして笑う。
部活動に夢中になる。
友人と遊ぶ。
ごく普通の大学生でした。
もちろん、勉強のできる人はたくさんいました。
話をしていて、
「頭の回転がものすごく速いな」
と感じる人もいました。
私には到底かなわないと思うような人にも出会いました。
それでも、大学全体が私の想像していたような「生まれつきの天才だけが集まっている世界」ではありませんでした。
分からないことがあれば勉強する。
試験があれば準備する。
できないことがあれば努力する。
そういう姿もたくさん見ました。
そして、そのことを特に強く感じさせてくれたのが、大学で出会った理科三類の2人でした。
第3章 数学が得意な理三生でも、基礎まで戻って勉強していた
大学時代、同じ部活動に東京大学理科三類の同級生がいました。
彼は、私から見れば間違いなく非常に高い能力を持った人でした。
両親ともに医師で、名門進学校の出身。
さらに、数学オリンピックの最終選考まで残ったほど数学が得意でした。
私は彼を見て、
「やっぱり理三は別格なんだ」
と思っていました。
ところが、大学の授業で分からない内容が出てきたときの彼の姿が、私には印象に残っています。
分からないままにしない。
難しい本で格好よく勉強するわけでもない。
必要なら、基礎的な参考書まで戻って学び直していました。
私はその姿を見て、
「これだけ数学ができる人でも、分からなければ基礎へ戻るんだ」
と感じました。
能力が高ければ、何でも一度で理解できる。
天才なら、努力しなくてもできる。
そんな単純なものではなかったのです。
むしろ、分からないことをそのままにせず、自分が理解できるところまで戻って学び直す。
その姿勢そのものが、彼の強さの一つだったのかもしれません。
第4章 3浪して理三に合格した後輩
もう一人、忘れられない理科三類の学生がいます。
部活動の後輩でした。
彼の受験歴を知ったとき、私は驚きました。
現役で不合格。
一浪でも不合格。
二浪でも不合格。
そして、三浪目で東京大学理科三類に合格しました。
理科三類といえば、東大の中でも非常に難しい入試を突破しなければならないところです。
私はそれまで、理三に入るような人は、高校時代から圧倒的な成績を取り、そのまま順調に合格するものだというイメージをどこかで持っていました。
しかし、彼は違いました。
不合格になっても挑戦を続け、最後に合格しました。
もちろん、彼にも高い学力があったからこそ到達できたのでしょう。
それでも、私が強く感じたのは、
「最初から何でもできる人だけが、ここへ来るわけではないんだ」
ということでした。
一度失敗したから終わりではない。
二度失敗したから才能がないとも限らない。
できなかったことを見直し、また勉強し、挑戦する。
その積み重ねで到達する人もいる。
私にとって彼は、「才能」という言葉だけでは説明できない東大生の一人でした。
第5章 私自身も「天才少年」ではなかった
そして、私自身も子どもの頃から特別な教育を受けてきたわけではありません。
地方の公立小学校。
公立中学校。
公立高校。
小学生の頃は塾にも通っておらず、学校の宿題以外はほとんど勉強していませんでした。
中学校では外部の実力テストでいつも2位。
高校入学直後の順位は学年10位前後でした。
高校1年生で一度は学年1位になりましたが、その後は成績を落とし、現役時代の東大模試ではE判定以下になることもありました。
そして現役では不合格。
一浪して、ようやく東京大学に合格しました。
私の受験生活は、最初から最後まで順調だったわけではありません。
分からない問題もたくさんありました。
勉強方法を間違えたこともありました。
一度立ち止まり、基礎からやり直したこともあります。
だから私は、自分自身の経験からも、
「子どもの頃から飛び抜けた天才でなければ、東大には届かない」
とは思っていません。
第6章 では、東大に必要なのは「才能」か「努力」か
もちろん、人にはそれぞれ能力の違いがあります。
私が東大で出会った中にも、
「この人にはかなわない」
と思うほど能力の高い人がいました。
ですから、私は**「努力さえすれば誰でも必ず東大に合格できる」**と言いたいわけではありません。
大学受験は試験ですから、最終的には合格に必要な学力へ到達しなければなりません。
ただ、その学力を身につけるために必要なのは、「自分は天才かどうか」を考えることではないと思っています。
基礎を理解する。
問題を解く。
分からなければ戻る。
なぜ間違えたのかを考える。
もう一度挑戦する。
そして、それを積み重ねる。
私が実際に東大で見たのも、そういう姿でした。
数学が非常に得意な人でも、分からなければ基礎へ戻る。
一度や二度不合格になっても、再び挑戦する人がいる。
才能がある人も努力する。そして、最初から順調ではなかった人も努力を積み重ねて東大へたどり着く。
それが、私が実際に東大へ入って見た世界でした。
まとめ|「天才ではないから」と最初からあきらめる必要はない
子どもの頃の私は、東大へ行く人は自分とは違う特別な人だと思っていました。
しかし、自分自身が東大を受験し、実際に入学して、多くの東大生と出会いました。
そこで分かったのは、東大生を「天才」という一言でまとめることはできないということです。
もちろん、人並み外れた才能を持つ人もいます。
一方で、分からないことを何度も勉強し直す人もいる。
失敗しても、もう一度挑戦する人もいる。
私自身も、地方の公立学校で育ち、現役では東大に不合格になり、一浪して合格しました。
だから、
「自分は天才ではないから、東大なんて無理だ」
と、挑戦する前から決める必要はないと思っています。
大切なのは、自分に足りないものを一つずつ身につけていくこと。
基礎を繰り返す。
自分の頭で考える。
失敗したら修正する。
そして、必要なところまで努力を積み重ねる。
「天才かどうか」ではなく、「今の自分に何が必要なのか」を考える。
私は、その方が大学受験ではずっと大切だと思っています。
東大受験について、私自身が経験して分かった「10の誤解」は、こちらの記事にまとめています。


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