「テストは100点を目指しなさい」
小学生の子どもに、そう言いたくなる親御さんもいると思います。
もちろん、100点を取ることは悪いことではありません。
取れたら、素直に「よかったね」と喜べばいい。
でも私は、小学生がいつも100点を取るために、多くの時間を使う必要はないと思っています。
90点を100点にするためには、90点を取るまでとは比べものにならないくらいの努力が必要になることがあります。
私の感覚では、その最後の10点のために、倍くらいの努力が必要になることさえあります。
では、その時間を何に使うのか。
私は、友達と遊んでもいいし、スポーツをしてもいいし、本や漫画を読んでもいいと思っています。
正直に言えば、私は小学生なら、いつも90点を取る必要さえないと思っています。
80点でも十分。
ただし、残りの20点をそのままにしていい、という意味ではありません。
大切なのは、
挑戦する。
失敗する。
間違いを直す。
そして、もう一度挑戦する。
このサイクルを回すことです。
100点という結果を追い続けることより、間違えたときに「次はどうすればいいか」を考えられる子になる。
私は、小学生のうちはそちらのほうがずっと大切なのではないかと思っています。
この記事では、なぜ私が「小学生は100点を取らなくてもいい」と考えているのか、東大受験まで経験した父親として考えてみます。
100点を取ることが悪いわけではない
もちろん、100点を取れるなら、それは素晴らしいことです。
子どもが100点のテストをうれしそうに持って帰ってきたら、
「すごいね」
「頑張ったね」
と一緒に喜べばいいと思います。
私が疑問に思うのは、「いつも100点を取らなければならない」と考えることです。
90点だったテストを見て、
「あと10点だったのに」
「どうしてここを間違えたの?」
と、100点ではなかったことを残念がる必要はないと思っています。
テストは、子どもの現在の理解度を確認するためのものでもあります。
間違えた問題があれば、
「ここがまだ分かっていなかったんだな」
と分かる。
それだけでもテストを受けた意味があります。
100点ならもちろんうれしい。
でも、100点でなかったからダメなのではない。
点数そのものより、そのテストから何を見つけるか。
私は、そちらのほうを大切にしたいと思っています。
小学生の今の成績と将来の学力をどう考えるかについては、「小学生の成績が悪いと将来も勉強ができない?東大卒の父が考える小学校の成績」でも詳しく書いています。
50点でも、分からなくても、親は先回りしない
小学3年生の次男は、最初から勉強が何でもできたわけではありません。
漢字テストでは、以前は50点くらいを取ってくることもよくありました。
九九を覚えるのも、どちらかといえば遅いほうでした。
二桁の引き算がよく分からなかった時期もあります。
でも、その時も私たち親が、
「できていないから勉強しなさい」
と先回りして教え始めたわけではありません。
ある時、次男のほうから、
「これ、よく分からないんだよな」
と聞いてきました。
そこで妻が、二桁の引き算を丁寧に教えました。
本人が困って、本人から助けを求めてきた。
だから、その時に親が手伝った。
我が家では、それくらいでいいと思っています。
漢字についても、最近では80点以上を取ることが増えてきました。
算数も、今では学校の習熟度別の授業で最上位のクラスで学んでいます。
本人も、
「国語より算数のほうが得意なんだよな」
と言うようになりました。
算数では100点を取ってくることも結構あります。
だからといって、「親が何もしなければ勝手に成績が上がる」と言いたいわけではありません。
私が大切だと思うのは、50点を取った瞬間、分からないことが出てきた瞬間に、親がすべてを管理しようとしないことです。
子どもなりに考える。
やってみる。
分からなければ助けを求める。
その時には、親がきちんと手を貸す。
親が先回りして失敗をなくすのではなく、必要になったときに支える。
次男を見ていると、それで十分なのではないかと思っています。
90点を100点にするために、その時間を使う必要があるのか
テストで90点を取った。
あと一問できれば100点だった。
そうなると、
「次は100点を取ろう」
と考えたくなります。
でも私は、そこで一度考えたいと思っています。
90点を取れるところまで理解するための努力と、そこから毎回100点を取れるようにするための努力。
私の感覚では、最後の10点を取りにいくために、それまでと同じくらいの時間や労力が必要になることさえあります。
もちろん、本人が100点を取りたくて頑張るのなら、応援すればいい。
でも、親が100点を求めるために、
計算問題をさらに何十問もやらせる。
漢字を何度も書かせる。
遊ぶ時間を削って勉強させる。
そこまでする必要があるのか。
私は疑問です。
その時間があれば、友達と遊んでもいい。
スポーツをしてもいい。
本や漫画を読んでもいい。
自分の好きなことに夢中になってもいい。
小学生の時間は、勉強だけのためにあるわけではありません。
だから私は、100点を取るために必要以上の時間を使わせるより、80点や90点で分かった「できていないところ」を直せば、それで十分だと考えています。
100点を取ることを目的にするのではなく、
「何を間違えたのか」
「なぜ間違えたのか」
「次はどうすればいいのか」
そこを考える。
そのほうが、100点という数字そのものより大切なのではないでしょうか。
親が勉強を求めすぎることで、子どもが勉強そのものを嫌いになってしまうことについては、「小学生が勉強を嫌いにならないために親ができること|東大卒の父が考える5つのこと」でも詳しく書いています。
大切なのは「挑戦→失敗→改善→再挑戦」のサイクル
私は、子どもがテストで間違えること自体は、それほど問題だと思っていません。
むしろ、間違えたからこそ、
「ここが分かっていなかった」
「この漢字を覚えていなかった」
「計算の途中で間違えた」
ということが分かります。
大切なのは、そのあとです。
挑戦する。
失敗する。
なぜ失敗したのかを考える。
やり方を改善する。
そして、もう一度挑戦する。
私は、このサイクルを何度も回すことのほうが、毎回100点を取ることより大切だと思っています。
これは勉強だけの話ではありません。
スポーツでも、仕事でも、新しいことに挑戦すれば、最初からすべてうまくいくことなどほとんどありません。
失敗したときに、
「失敗してはいけない」
と思うのか。
それとも、
「じゃあ、次はどうしよう」
と考えられるのか。
長い人生で考えれば、この違いは大きいと思います。
だから、小学生のテストで80点だったとしても、私はそれほど気にしません。
残りの20点を見て、
「次はどうすればできるかな」
と子ども自身が考えられればいい。
100点を取ることよりも、失敗を材料にして次へ進めること。
私は、息子たちにはそんな力を身につけてほしいと思っています。
親の役割は「100点を取らせること」ではない
子どものテストを見ると、親はどうしても間違えたところが気になります。
50点なら、
「これはまずい。勉強させなければ」
と思うこともあるでしょう。
でも、次男を見ていて思うのは、親が子どもより先に焦る必要はないということです。
子ども自身が、
「分からない」
「教えて」
と言ってきたら、その時は一緒に考えればいい。
明らかに授業についていけていないのであれば、もちろん親が気づいて支える必要もあります。
でも、そうでなければ、まず本人に任せてみる。
テストで間違えることも、その過程の一つです。
親の役割は、子どもから失敗を取り除いて100点を取らせることではなく、
子どもが困ったときに、手を差し伸べられる場所にいること。
そして、自分でできることには、できるだけ口を出さないこと。
私は、そのくらいの距離感でいいのではないかと思っています。
まとめ|100点より「間違えた後」を大切にしたい
小学生のテストで100点を取る。
もちろん、取れたらうれしいことです。
でも私は、100点を取ることを親が子どもに求める必要はないと思っています。
80点でも、90点でもいい。
大切なのは、残りの10点、20点を見て、
「どこを間違えたんだろう」
「なぜ間違えたんだろう」
「次はどうすればいいだろう」
と考えることです。
次男も、漢字テストでは50点くらいだった時期がありました。九九を覚えるのも遅いほうで、二桁の引き算が分からなかったこともあります。
それでも親が先回りして勉強を管理するのではなく、本人が困ったときに手を貸してきました。
今では漢字テストで80点以上を取ることが増え、算数では100点を取ることもあります。
子どもの学力は、一本の直線のように伸びていくわけではないのでしょう。
だから、今の点数だけを見て焦る必要はない。
そして、100点にするために多くの時間を使うより、その時間を遊びやスポーツ、読書など別の経験に使ってもいい。
私が大切にしたいのは、
挑戦 → 失敗 → 改善 → 再挑戦
というサイクルです。
失敗しない子にするのではなく、失敗しても自分で考えて、また挑戦できる子にする。
小学生のテストは、その練習をする絶好の機会なのではないかと思っています。


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